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政治経済学会 ニューズレター 第一号

学会の名称変更のお知らせ

2009年3月6日(金)の総会において、「早稲田政治学会」の名称を変更し、「政治経済学会」とすることが提案され、了承されました。これまで早稲田大学大学院政治学研究科の在学生と出身者および教員を中心としてきた会員構成や企画内容を抜本的に見直し、早稲田大学政治経済学術院において進んでいる政治学研究科と経済学研究科の教育・研究における連携、そこでの政治学と経済学の融合、政治経済学・国際政治経済学の進展を背景に、政治学、経済学、政治経済学の研究交流の場を、研究科や大学の枠を超えて提供できるよう体制を変革してまいります。
これに伴い、これまで刊行してきた「早稲田政治学会ニューズレター」も今年度より「政治経済学会ニューズレター」として刊行してまいります。今後とも変わらぬ御指導御鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

第9回早稲田政治学会総会・研究会を振り返って


久保 慶一


 さる2009年3月6日(金)に、早稲田政治学会の第9回研究会・総会が開催されました。この研究大会の最大の特色は、経済学からの参加者が例年になく多かったことに尽きます。政治学と経済学の融合と政治経済学の確立をめざす学会へと飛躍することを視野に入れた内容で、早稲田政治学会を政治経済学会へと発展的に進化させることを決定する総会・研究大会にふさわしいものであったと思います。
 自由論題では2008年度と同じく9つの発表応募を得て、3つのパネルが組織されました。1つが政治思想、もう1つが現代政治学を基調とするパネルとなりましたが、3つめは経済学研究科の大学院生が中心となり英語による研究発表が行われました。政治学と経済学の大学院生がひとつの場に集まって研究発表を行う機会を提供することができたのは当学会の今後の飛躍と発展にとって重要な第一歩であったと考えます。しかし、政治と経済が別個のパネルに組織され、パネルの中で政治学と経済学が対話して議論をたたかわせることが無かったのは残念です。今後、政治学と経済学の対話、融合を促すようなパネルの構成や企画がこの学会から生み出されていくことを望みたいと思います。
 二つの分科会は早稲田大学大学院政治学研究科の政治学先端研究ワークショップとの共催で開催されました。同科目を担当する助教の先生方とそれを履修する大学院生が中心となり、刺激的なテーマを取り上げた興味深い企画が誕生しました。ここでも、経済学を専門とする研究者が討論者をつとめ、フロアからも学際的な質疑があり、政治学という学問分野を越えた多様で学際的な議論が展開されました。
 共通部会は「政治経済学とはなにか」というタイトルで、政治学と経済学の立場からそれぞれ報告をいただき、その後活発な議論が交わされました。政治経済学とは何なのか、そしてこの学問分野がもつ魅力と可能性について、研究教育の第一線で活躍する研究者を交えた討論ができたことは、当学会が「政治経済学会」へと改称し、今後さらなる発展をめざしていくうえで貴重な成果となったのではないかと思います。
 各セッションの報告、討論、およびその後の議論の概要については、以下の大会報告を御参照ください。
 研究会、総会の後に高田牧舎で懇親会を行ないましたが、こちらもたいへんな盛況で、楽しい時間をもつことができました。また会の運営に当たっては、早稲田大学政治経済学術院の助手の皆さん、ならびに大学院政治学研究科に在籍中の院生の協力を得ました。助手の皆さんと院生諸君に感謝いたします。
 2009年度の研究大会は政治経済学会としての最初の研究大会であり、あわせて、政治経済学会として最初の総会が開催されます。ふるって御参加のほど、よろしくお願い申し上げます。また、今年度の研究大会でも自由論題のセッションが設置されます。自由論題の応募は2010年1月8日(金)です。詳細は以下の事務局だよりを御覧ください。皆様の応募をお待ちしております。
 「政治経済学会」として装いを新たにした当会が、政治学と経済学の双方の分野における先端的・萌芽的な研究を発表しあい、相互に刺激しあいながら議論をたたかわせていく場になっていくことを望みたいと思います。

各分科会の報告と討論


自由論題A


報告者 千野貴裕(早稲田大学大学院)
「グラムシの市民社会概念再考:同意の形成と解体の観点から」
討論者 厚見恵一郎(早稲田大学)

 千野報告は、グラムシの市民社会論について、同意の形成と解体の2つの側面から再考したものである。同意の形成に関しては、グラムシの順応主義的人間観と技術に対する楽観的な信頼に基礎づけられて、ヘゲモニー概念の彼自身による最も基本的な定義が人々の同意を獲得することに存していることを論じた。しかしながら、反面で彼は同意の解体を自身の市民社会論に位置づけている。この観点からグラムシが注目した「サバルタン」は、共和主義を掲げつつ、リソルジメントにおけるイタリア国家が教会との妥協によって成り立つことを批判したものの、彼らは正史において「病理的」などの表象の下にあり続けた。グラムシはこの事実に注目して、同意の形成に反対し、むしろそれを解体することを試みた歴史的事実から、彼の同時代における同意の問い直しを模索したように思われるとの主張がなされた。
 討論者の厚見会員からは、第1に、グラムシを現代的/規範理論的に読むことの問題点が指摘された。グラムシとわれわれは同時代人ではないのであって、グラムシの議論を直裁な政治理論的問題提起と受け取って良いのかという疑問がある。第2に、グラムシが歴史に言及する場合のその「歴史」の意味は、イタリア政治思想史(とくに人文主義的伝統)に鑑みてどのように位置づけられるかとの問題が提起された。
 第1点に関しては、グラムシをラディカル・デモクラシーあるいは討議によって特徴づけられる市民社会論の先駆者と見なす解釈に対して疑義を挟むことを通じて、グラムシ自身のテクストによって解釈を導出するものである、と報告者は応答した。第2点に関しては、とくにグラムシと、彼が大きく依拠しつつも批判した人物であるクローチェの関係が強調された。クローチェとグラムシは共に、リソルジメント史の解釈をひとつの参照軸としつつ、彼らの政治的議論を基礎づけたと言えるのであり、その意味で彼らはイタリア政治思想史の子であるが、人文主義のようにローマに範を求めるという問いは見られない、という報告者の考えが提示された。
 その他フロアからは、ソレルとの関係、ハーバーマスと比較することの意義、個人としてのサバルタンに注目することは実存主義的解釈に陥るのではないか、などの質問が提示された。

報告者 田畑真一(早稲田大学大学院)
「討議的デモクラシーにおける裁判所の位置づけ」
討論者 阪口正二郎(一橋大学)
 田端報告は、討議デモクラシーにおける裁判所の役割をリベラルな政治理論との比較において明らかにしようとしたものである。具体的には、討議デモクラシーの論者としてユルゲン・ハーバーマス、リベラルな政治理論家としてロナルド・ドゥウォーキンを取り上げ、両者のデモクラシー理解の違いに焦点を当て、その中で裁判所が果たす役割がどのように異なるのかについて論じた。
 まず、リベラルな政治理論においては、デモクラシーを多数決主義として捉え、多数者の暴政から私的自律を保証するという立憲主義の側面が強調される。一方、討議デモクラシーは、そもそも私的自律がデモクラシー、すなわち公共的自律と矛盾するものとしては理解されず、むしろその等根源性が主張され、互いに支えあう関係として捉えられる。その結果として、リベラルな政治理論は、立憲主義を支える私的自律を保証するものとして裁判所を理解するのに対して、討議デモクラシーは私的自律の保証を担うというよりも、私的自律と公共的自律の等根源性を支え、両者の相補関係を維持・発展させる役割を担うものとして裁判所を理解することが確認された。
 討論者の阪口氏(非会員・一橋大学)からは、下記の2点の疑問が提示された。第1は、討議デモクラシーにおいて裁判所の役割が私的自律と公共的自律の等根源性の維持であるにしても、その判断を司法、裁判所に委ねていいのか、という点である。この疑問に対して報告者は「ハーバーマスは、確かに司法に対する一定の信頼を置いている。しかし、政治の中心は立法であり、裁判所はその政治が営まれていく中で私的自律と公共的自律の関係をチェックすることに限定され、限られた役割に留まるのではないか」と応答した。第2は、裁判所による法創造と法適用は本当に峻別できるほど異なるのか、という点である。この疑問に対して報告者は「ハーバーマスにおいて、裁判所が判決に用いることのできる根拠が限定され、基本的に立法の際の議論に基づいて判決が下されるべきであるとされる。そのため、あくまで裁判所は法適用しか許されない。ただし、実践においてどの程度峻別できるのかは、今後の検討課題となる」と応答した。
 また、フロアからは、具体的な司法審査の際に、どのように裁判所の役割が異なってくるのか、という質問が提示された。これに対して報告者は「討議デモクラシーにおいては、その背景にある公共圏の役割が重要となる。討議デモクラシーは、裁判所の判決においても、その判決が公共圏において営まれた議論を反映して下される必要性を強調する」と応答した。

報告者 武田菜穂子(早稲田大学大学院)
“Pluralism, Old and New: William Connolly and Global Politics”
討論者 五野井郁夫(日本学術振興会特別研究員)

 武田報告は、英米政治学における主要な潮流である「多元主義」の発展と深まりについて、ウィリアム・コノリーの理論を通じて検証していくものである。第2次世界大戦後に発展した権力の多元性に基づく行動科学的な理論を「古い多元主義」とするなら、1980年代以降のポスト構造主義、ポストモダン・批判理論に影響を受けた哲学的な諸次元を取り込んだ理論は「新しい多元主義」と呼ばれる。この「新しい多元主義」を牽引するコノリーの理論は(国内の)政治理論と国際関係論を架橋する可能性を持ち、国境を超えたデモクラシー論として評価できるものと考える。本報告は、ダールらに代表される伝統的な多元主義モデルとロールズ流のリベラリズム批判がコノリーの理論においてどのように展開され、「複数の次元にわたる多元主義」の提示へと向かっていったのかを明らかにしようとした。
 討論者である五野井氏(非会員・東京大学)からは、コノリーの多元主義が果たして国際関係論への架橋として成功するのかという疑問が提示された。また、フロアからは「古い多元主義」と「新しい多元主義」の定義をもう少し明確にすべきではないかという指摘、多元主義の展開を「現代アメリカ」に限定する意義は何かという質問が提示された。

自由論題B


報告者 白水祥太郎(早稲田大学大学院)
「マレー作戦に向けた地理インテリジェンス」
討論者 宮杉浩泰(早稲田大学現代政治経済研究所特別研究員)

 白水報告は、日本が正式に南進を決めた昭和15年夏から開戦までの1年半の間に、いかにしてマレー作戦を有利に導くためのインテリジェンス(諜報活動)を展開できたのか、あるいはさらに周到な計画に基づく準備が為されていたのか、を問題の所在としたものである。この問題は、我が国の戦史研究においては詳細かつ体系的な検証が為されて来なかった。この問題を解明すべく、本報告では、特に地理に関するインテリジェンス(即ち、地形・気候の事前調査、資源・人工物の利用可能性)に焦点を当て、国内に散在する現存史料に基きながら、関連する各アクターの行動を考察する、という方法がとられた。
本報告によると、参謀本部第1部・第2部は地理偵察要員を多数派遣し、陸地測量部は空中写真測量を試みた。満鉄東亜経済調査局はマレー半島両岸の鉄道情報を収集し、さらには語学専門要員も派遣した。南洋協会、昭和通商、各国大使館・領事館は公然たる拠点であり、特に在バンコクとシンゴラの武官・領事・職員は重要な任務を帯びていた。このほか、民間総合商社、水路部、京都帝国大学地理学教室、半島在住民間人等を含めて、日本は限られた期間内で、限られてはいるが相対的に質の高いインテリジェンスサイクルを形成した。ただし、こうした地理インテリジェンスの頒布先詳細、及び政策決定への影響までは、現存史料から明らかにすることはできない。
 本報告に関して、討論者の宮杉会員からは、作戦面の描写に終始しがちな我が国の戦史研究において、より立体的な検証を試みる非常に野心的な、かつ歴史研究という分野において将来性のある着眼である、という評価を受けた。また、フロアからは、アクターに水路部を含めているのはなぜなのか、という疑問点が提示された。この点に関して、報告者は「水路部は海図を作成しており、ジョホール海峡やシンガポール港、マレー半島東岸に関するものが現存する。これはほとんどが公開情報から得たインテリジェンスだが、その作製経緯及び利用状況は検証に値する」と応答した。

報告者 尾崎敦司(早稲田大学大学院)
「政権党の戦略的連立組みかえとその経済投票への効果」
討論者 松本保美(早稲田大学)

 尾崎報告は、1960?2005年までのOECD諸国を比較対象として、なぜ有権者は政府の経済実績に基づいた意思決定を行うのか、あるいは行っているようには見えない行動をとることがあるのか、という問いに取り組んだものである。
 先行研究では、(1)政権政党側からの業績誇示(credit claim)、あるいは非難回避(blame avoid)といった戦略的な働きかけ、(2)有権者から見たときの政府の責任の明確さが政府在任期間に依存している点、これらを軽視していると批判しつつ、この問いに対する仮説として報告者は、(1)経済悪化局面において、経済は与党の得票率に負の影響を与え、同一政権がより長く存続するほど経済の限界効果は高まる、(2)経済良好局面において、経済は与党の得票率に正の影響を与えるが、同一政権がより長く存続するほど経済の限界効果は弱まる、これらを提示し統計学的手法を用いて実証した。
 討論者の松本氏(非会員・早稲田大学)からは、報告者の用いた実証方法では有権者が政府の経済実績に基づいて意思決定を行ったのかどうかが分からない、などの指摘が提示された。

報告者 本田亜紗子(早稲田大学大学院)
「ヨーロッパ右派政権による福祉改革の可能性―イタリア・ベルルスコーニ政権の年金改革」
討論者 伊藤武(専修大学)

 本田報告では、イタリアの第1次、第2次ベルルスコーニ政権における年金改革を事例として、ヨーロッパ右派政権による福祉改革の可能性が検討された。特に、資本主義の多様性の議論に焦点を当てて、ヨーロッパ(本報告では南欧型のイタリア)の経済、利益集団、福祉国家の構造は、アメリカ的な自由主義モデルのものとは異なり、ヨーロッパ右派政権の福祉改革において、政府と労働組合の利害調整が必要とされるとした。
 討論者の伊藤氏(非会員・専修大学)からは、第1に、南欧型のイタリアでは労働組合が北欧型や大陸型の国のようにうまく制度化されていないため、それをどう位置づけるかについて再検討する必要があることが指摘された。そして、第2に、右派政権による福祉改革において、結局政策決定過程においてより重要なのは政党か労働組合かという問題が挙げられた。第1点と関連して、イタリア労組は制度化されているとは言いがたいので、福祉改革において政党の役割がより重要だと考えられる。そう考えると、政府は労働組合との調整を本当に必要としたのかといった問題が浮かび上がる。
 またフロアからは、ベルルスコーニ政権の与党の1つである北部同盟は必ずしも政府と同じ選好を持ち続けたわけではないため、このことが改革の成功に大きく影響したのではないかと質問があった。この点に関して、北部同盟の発言力は両政権期ともに大きく、その有無が改革に大きな影響を与えたとは言いがたいのではないか、と報告者は応答した。

自由論題C


報告者 上條良夫(早稲田大学)
“Farsightedly stable horizontal merger”
討論者 中村靖彦(早稲田大学大学院)

 上條報告は、安定的な企業合併について、ゲーム理論的アプローチを用いて考察するものだった。安定性を捉える概念としては様々なものがこれまでに提案されているが、その多くがプレイヤーの近視眼的行動に基づいており、しばしばモデル自体に想定されたプレイヤーの能力と整合的ではないとして批判の対象になる。そこで、本報告では、プレイヤーの先読み能力を考慮したような安定性概念として、4つの概念を提案し、緩やかな制約のもとで、これらの4つの安定概念がそれぞれどのような合併を安定であると判断するのかを明らかにした。
 討論者の中村氏(非会員・早稲田大学)からは、先行研究の中で本報告の貢献をより明らかにするような修正を求められた。またフロアからは、亜細亜大学の加藤一彦氏より、安定性概念についての新しいアイデアが提起された。

報告者 小島崇志(早稲田大学大学院)
“Q-anonymous social welfare relations on infinite utility streams”
討論者 荻沼隆(早稲田大学)

 小島報告においては、世代間衡平性の概念は持続可能な開発を考究する鍵となる考えに基づいて、効用の無限流列の評価、とりわけ不偏性(Q 匿名性)、感応性(強パレート原理)、衡平性を満たす評価に関する研究が発表された。本報告は、第 1 に、Q 匿名性、強パレート原理、ピグー=ドールトン衡平性によるローレンツ評価を特徴づけた。第 2 に、ピグー=ドールトン衡平性をハモンド衡平性に代えて辞書式マキシミン評価を特徴づけた。第 3 に、ピグー=ドールトン衡平性を増分による衡平性に代えて功利的評価を特徴づけた。同時に Q 匿名性が強パレート原理および衡平性と整合的であることを示した。
 また、討論者である荻沼氏(非会員・早稲田大学)との間では、地球温暖化や枯渇する天然資源のような環境問題等の分野での実用研究、年金システムのような社会保障改革等の特定のコンテキストにおける研究について議論が展開された。

報告者 井上智弘(早稲田大学)
“Interregional Competition and Vertical Government Structure”
討論者 加藤一彦(亜細亜大学)

 井上報告は、産業組織論における寡占分析において社会厚生の最大化を追求する公企業と私的利潤の最大化を目標とする私企業が混在する混合寡占市場を扱った分析であり、モデルにおいて、1国2地域を設定することで、国営公企業と地方公企業の共存する状況を検討したものである。これは、病院や大学など、国立・都道府県立(ないしは市町村立)のものが共存する状態を想定している。本報告における分析では、国営公企業の分権化の是非や中央・地方政府が独自に公企業を分権化ないしは民営化することができる場合にどのような均衡が成立するか、そして私企業の分布規制の影響について検討がなされた。
 討論者の加藤氏(非会員・亜細亜大学)からは、タイトル設定とモデル設定の整合性、モデルにおける国営公企業の利潤分配の設定、国営公企業の分権化に際しての国と地方との利害対立などの点についてコメントが提示された。フロアからは、主にモデルの設定について、論文の拡張という視点から、たとえば、私企業の分布規制は各地域で対称にし、その上で自由参入を想定したらどうなるか、などのコメントが提起された。

分科会A〔共催:政治学先端研究ワークショップ〕
≪死を政治化する――医療と統計をめぐる論争的対話――≫


司会 上地聡子(早稲田大学大学院)
報告者 田村健一(早稲田大学)
「地方政府が死因に与える影響――人口動態統計から死亡率を比較する」
報告者 的射場瑞樹(早稲田大学大学院)
「死はなぜ政治学の問題になるのか――思想領域からの応答」
討論者 清水和巳(早稲田大学)

 この分科会は、博士後期課程の学生を対象に博士論文の執筆支援と自主的ワークショップ開催をおこなうため、2007年度より大学院に開設された政治学先端研究との共催でおこなわれた。まず司会の上地より、方法論に焦点をあてた分科会の企画経緯が紹介された。
田村報告では、生活保護、地方交付税などが主要な死亡率の低減に有効である点や、自殺に対する地方政府の政策が有意な結果を導かず、交通事故に関しては高齢者福祉や児童福祉が有効である、といった分析結果が示された。的射場報告では、人口や死亡率への関心の背後に保護的な介入を行う「生?権力」の存在を指摘し、健康の概念が、衛生学などの科学的な知の集積に伴い、規範そのものとして価値に変容していった歴史的過程が指摘された。討論者である清水和巳氏(非会員・早稲田大学)より的射場報告に対して、「生?権力」を批判して新たな生のあり方を示唆する提言それ自体が、もう一つの「生?権力」ではないのか、また、政治思想に依拠した提言の妥当性を担保するものは何かという問いが出された。田村報告に対しては、死を「繰り返し現象」として位置づけるにあたっての死の理解の仕方に説明が求められた。
質疑応答は以下のとおりである。石川涼子会員が的射場報告に健康と死の概念の関係について、田村報告に幼少期の環境が成人後の死因に影響を与えるタイムラグについて質問した。若杉なおみ氏(非会員・早稲田大学)からは、普遍性と個別性をあわせもつ人間について語るには変化しつつある生命・身体観の共有が必要であるとしたうえで、田村報告に対して経済の側面と一致しない政治的ムーブメントといった要因と健康の関連を考察する重要性、回避可能な死(preventable death)の死亡率が低い日本のケースを支出のみで説明する限界などが指摘された。生や死といった考察の発展には自然科学の最新知見を前提とすることがもはや避けられないとの見解が討論者から提起され、的射場会員からは生死や倫理をめぐる判断は事実ではなくその解釈に依存する点で、存在から当為は引き出せないとの応答がなされた。
あいにくの天候のため参加者に恵まれたとは言えなかったが、計量と思想それぞれの立場に立つ若手研究者が同じ場を共有し、領域横断的議論がおこなえたという意味で、今後につながる分科会となった。

分科会B
《20世紀への世紀転換期イギリスにおける進歩派と『社会的』なもの》


司会 平石耕(早稲田大学)
報告者 平石耕(早稲田大学)
「初期フェビアン社会主義と『社会的』なもの」
報告者 寺尾範野(一橋大学大学院)
「L.T.ホブハウスにおける福祉の権利論
――古典的自由主義との関係を中心に」
討論者 山本卓(法政大学)

 本分科会では、福祉国家・福祉社会の将来を見据える上で現在「社会的なもの」をいかに構想するかが重要になっているという理解に立って、この現代的問題を考えるための基礎作業の一つとして、20世紀への世紀転換期におけるイギリスの進歩派が持っていた「社会問題」あるいは「社会的なもの」への視座が検討された。
 まず、平石報告「初期フェビアン社会主義と『社会的』なもの」は、ウェッブ夫妻やG.B.ショウなどの初期フェビアンの思想をたどりながら、労働者からの搾取を認めつつも階級闘争・革命路線をとらない彼らの社会主義が、民間団体・中間団体の活動を積極的に評価する一方で、それを監査し補完する公的組織の必要性を強調したこと、「国民的最低基準」もこの文脈で唱えられたことを明らかにした。その上で、こうした社会観が、国民の生産効率の上昇という目的と不可分だったことを指摘した。
 次に、寺尾報告「L.T.ホブハウスにおける福祉の権利論―古典的自由主義との関係を中心に―」は、ニューリベラリズムの代表的論者であるホブハウスが、「権力」ではなく「使用」のための私的所有を認めつつ、他方で、社会にも所有権を認め、社会と「有機的」な関係を結ぶ個人の自律を確立するための「シヴィック・ミニマム」を構想したことを明らかにした。ホブハウスは、個々人の自律を通じた社会での機能遂行を重視し、個人と共同社会の相互的な役割を強調したのである。
 以上の二報告を受けて、討論者の山本卓氏(非会員・法政大学)が指摘したのは、初期フェビアン社会主義とニューリベラリズムとの理論的差異はどこにあるのか、また、ホブハウスにおける折衷的側面をいかに評価すべきかという点であった。また、フロアからも社会における個人の役割遂行と権利との関係に関して、根本的かつ重要な問いが寄せられ、活発な意見交換がなされた。
以上、イギリスの事例に限られてはいたが、本分科会は、福祉国家の思想史的出発点を確認し、その可能性と限界とを考える上で意義あるものであった。



共通部会
《政治経済学とはなにか》

司会 佐藤正志(早稲田大学)

報告者 清水和巳(早稲田大学)
報告者 平野浩(学習院大学)
討論者 飯田健(早稲田大学)
討論者 田中愛治(早稲田大学)

本シンポジウムは、2008年度から「国際政経コース」が誕生したことをうけ、将来的に政治学と経済学の関係をより密接に展開していくための、新しい政治経済学のかたちを考えていく出発点として構想された。本シンポジウムでは、経済学の分野から清水和巳氏(早稲田大学・非会員)を、政治学の分野から平野浩氏(学習院大学・非会員)をお招きし、それぞれの分野の観点から新しい政治経済学とはなにか、を考察していただいた。
清水報告では、「政治経済学」という学問が実証科学として成立する理由について、?causality、?probability、?replicaという三つの鍵概念を手がかりに検討した。その際、こうした理由を多角的に研究してきた早稲田大学政治経済学部COEの実績(GLOPE IからIIへの展開)を紹介したうえで21世紀の政治経済学のあり方を展望した。具体的には、実証科学であるために「政治経済学」は政治経済の現象を因果的に説明する必要があり、そのためには、現象を様々な仮説を用いて説明するとともに、その仮説に相対的ランキングをつけることでヨリ真なる説明をめざす必要がある、と主張された。ヨリ真なる説明という意味は、自然科学とは違い「The理論」をもたない学問である以上、政治経済においては真の命題は存在せず、真に近い命題を作ることが求められるということ、である。それは「世界によく似たレプリカを作ること」を意味する。そのうえで、報告者は、政治経済学は同時に「政策学」であるため、「規範」についても語らなければならない、と繰り返し強調した。さらに、21世紀の政治経済学は、自然科学との協働を進め、例えば進化学の知見をうまく利用することで新たな展望が開けるのではなないか、という見通しも示した。
平野報告では、専門である選挙研究の立場から「政治経済学」に関してどのような提言が可能であるのかを考察した。まず報告者は、暫定的に政治経済学を政治学と経済学の接点となるような(事象、理論、モデル、方法論を扱う)研究領域と仮定したうえで、経済投票という事象を例に、政治経済学の有効性を探った。経済投票とは、経済状況(の認知)が有権者の投票行動に影響を与えるという事象であり、この事象におけるアクターの意思決定の中に政治学と経済学との接点があると論じられた。また、投票参加のパラドックス(R=P・B?CでR<0となってしまう)を、一つの集団(ある候補者を支持している有権者の集団)における公共財(その候補者の当選)の獲得に関するゲームとして考えるとどうなるのか、という問いが政治経済学的視点からのリサーチ・クエスチョンの例として提示された。最後に報告者は、政治経済学という領域の発展のためには、政治学・経済学のいずれの分野にも完全に包摂されることのない、「政治経済学」ならではの興味深いリサーチ・クエスチョンを立てることが重要であるという点を指摘した。
 両氏の報告にたいして、飯田健氏(非会員・早稲田大学)および田中愛治会員から、以下のような指摘がなされた。飯田氏からは、なぜ政治経済学を問題にするのかという問題提起が行われ、政治経済学の定義に関しての整理(政治経済学は、?政治と経済との関係を扱う学問であるか、?政治を経済学的に分析する学問であるか、いずれかの形態をとりうる)がなされたうえで、清水報告に関しては、データとのフィッティングにおけるモデル対決の場として政治経済学を規定するのではなく、説得の手段としての社会科学の特性から、手続きの明確さを重視すべきではないかとの指摘がなされた。また、平野報告に関しては、政治経済学において「ヤッコー研究」をどのように克服すべきかという問題が存在し続けているという指摘がなされた。最後に飯田氏は、政治経済学の今後の課題として、?因果関係の検証、?「経済学帝国主義」からの政治学の防衛、?数理モデルと統計モデルの意味ある統合、の三点が残されていることを指摘した。
 田中会員からは、主に飯田氏の両報告者への批判的指摘にたいするコメントが寄せられた。まず、なぜ政治経済学が問題になるのかという点に関しては、日本で初めて「政治経済」を看板として掲げた早稲田大学政治経済学部の歴史的・伝統的側面からも、早稲田が「政治経済学」を発信すべきである、という主張がなされた。また、データとのフィッティングにおけるモデル対決が流行遅れではないか、という指摘に関しては、清水報告の趣旨としては諸々のアサンプションの差異を検討することが重要なのであって、それらアサンプションの比較のための手法として「モデル対決」が提起されたのではないか、との指摘がなされた。
また、これらの討論を受け、フロアからも数多くの質問やコメントが寄せられた。森達也会員からは、政治経済学において民主的正統性やデモクラシーをどう位置づけるか、「実証科学」としての政治経済学からは「有意味性」は落ちてしまうのではないかとの質問が寄せられ、それにたいし清水氏から、容易には答えられない問題ではあるが、実証科学としての政治経済学からもよりよい制度を提案することができるのではないか、との返答があった。田中孝彦会員からは、経済学の帝国主義の次は理論の帝国主義に陥ってしまうのではないか、歴史研究は政治経済学の分野でどのようなかたちで貢献ができるのかとの質問が寄せられ、平野氏および田中会員から、歴史の強みは何と言っても結果が分かっているということであり、その分かっている結果から遡って歴史を政治経済学的に理論化することは可能であるとする返答がなされた。最後に伊東孝之会員から、(早稲田の)政治経済学は、Political EconomyではなくPolitical Science and Economyと呼ばれるが、歴史的にどういった形で作られてきたのか、今回の報告では国家という枠組みの問題が抜け落ちているのではないか、との指摘がなされた。それにたいして田中会員から、今回の報告では意思決定の部分に注目が集まったためミクロの話になったのは事実であるが、ミクロ政治学とマクロ政治学はシームレスでつながっているものであり、分けて考えられるものではないとの返答がなされた。このように、質問は特に「実証科学」としての政治経済学において、思想や歴史はどのように位置づけられるのか、という点に集中した。そこから見えてきた今後の課題は、政治経済という概念の丁寧な整理、および歴史を理論化しモデル化する方法の探求、である。
以上のように、本シンポジウムは、活発な意見交換を経てありうべき「政治経済学」のすがた、そしてその意義を多方面から検討することができたという意味において、今後の「政治経済学会」のあり方の方向性を指し示す有意義な会であった。

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